標的となる中古市場 (2) - 土壌を育む中古市場

 人が作品を面白いと感じるには、その作品を理解する素養が必要となります。それは数多くの作品に触れる事でのみ培われるものであり、とくに良作でなければいけないという事はありません。つまらないと感じた作品からでも、他の作品を評価する素養は培われるのです。もちろん、ただ数さえ多ければいいというものでもありませんが…。

 中古市場は、長期間に渡り作品を流通させ、その商品の大多数を安価でもって読み手に提供している、現状で唯一の市場です。売り手にとっても、作品を手放すことによって新たな作品を手にする機会を得ることが出来、作品を理解するための土壌を育む場としては、図書館に匹敵する機能を持っていると言えるでしょう。

 日本の著作権法では、第1条の目的でもって「…これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」と宣言しています。これは著作者等の権利保護は最大限に発揮されるべきものですが、同時に文化の発展に寄与するためには、権利は少なからず制限されることを意味しています。

 文化の発展には読み手側の理解度の向上は不可欠であり、著作者等の権利、とくに利益面のみを保護することは、読み手側が触れる事の出来る作品数の低迷を招き、よって理解度が低下することにも繋がりかねません。中古市場は一見、著作者等に対して損害を与えるだけのものに見えますが、権利者から離れての客観的な評価でもって作品を幅広く提供し、読み手の理解力を向上させているという点で、文化の発展に寄与していると言えるのです。

標的となる中古市場 (1) - 中古市場の意義

 来年1月から施行されるレコードの還流措置は、条文の適応範囲を変更することで、中古市場を規制する法律となる可能性を持っています。還流措置の適応範囲は「国内用と国外用という異なる頒布元がある"レコード"」ですが、これを「著作権者から直接頒布した"著作物"」と「客から買取り中古業者が再販売する"著作物"」とすることで、適用条件は変更せず中古市場を標的にすることができるのです。

 多くの著作権者は、中古市場が新規の著作物の購入を控えさせ、本来権利者が得るべき利益を不正に得ていると考えているようです。たしかに販売当日に中古店に並ぶ商品を見れば、新品の購入を妨害しているように思われます。実際のところ、中古販売が禁止されていれば、ある程度の新品の売上増加は期待できるのかもしれません。

 しかし、文化の発展という側面からすると、大多数の作品が大体にして安く入手できる中古市場が無くなれば、人々はより多くの作品を手にする機会を失います。これは、数多くの作品を知ることでしか得る事の出来ない「作品を理解する上での土壌」を失うことに他なりません。正しい評価を得ることの無くなった市場は、良作を生み出す力を失い、やがて衰退していくでしょう。

 市場で販売される作品の価格は、作者自身の評価を含みますが、大部分は頒布と流通などの都合で決定されます。その価格と、受け手側が評価として想定する価格は、鷹揚にして食い違うことが常であると言えます。適正と思えば新品で買うでしょうが、そうでなければ、その想定に見合う中古品を求めることになるでしょう。ただし、中古品も売り手かなければ中古市場に並ぶことはありません。作品が多大に評価され、所持したいと多くの人が思った作品は、中古市場にはなかなか並ばないものなのです。

著作権関連のニュースより


 その上で久保田氏は、著作権法は関係省庁・団体などが真摯(しんし)な議論を重ねた上で法改正などを行っており、それをWinnyという道具を使って強引に改正を企てるのは「技術的なテロであり、非民主主義的行為だ」と非難した。

 「その上で」とあるので、とりあえず原文のほうも読んで頂くとして(引用しにくい文章だなぁ)、ただ、Winnyのようなソフトが実行可能な現実には、目を逸らさずに著作権法を考えて頂きたい次第です。



 また、ピーターバラカン氏は「今回の法律とある意味で関係している」としたうえで、CCCDについても言及。「音質が悪く、最近主流になりつつあるiPodなどのHDDオーディオプレーヤーに音楽を入れることもできない。これは消費者の人権を侵害していると言っても良いこと。CCCDを発売するということは、消費者に向かって“あなた、コピーするでしょう”と言っているようなものだ」と批判した。

 CCCDは音質が悪いだけでなく、エラー訂正を正確に行おうとするCDドライブほど故障率が高くなりますからねぇ…PC用のドライブでは怖くて再生できません。保証もして頂けない訳ですし。
 それにしても、CCCD以前に、レコードがCDに移行するときにもCDの音質はどうのこうの、という話はあったものです。私達は世の中の技術が発達すればするほど、内容は良くなったとしても質の悪い音を聞かされるはめになるわけです。


著作権法違反 『冬のソナタ』偽ネックレスで提訴 - 毎日新聞 - 社会」というのがYahoo! Japan Newsに3回も配信されているわけですが、これは新手の広告だろうか…と思った私は、ちょっとうだちすぎてますかね。

素材と著作権

「誰でもマンガ家になれる? ゲームキャラ画像をそのまま使うオンラインマンガ」 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040607-00000003-wir-sci)

 ゲームに登場するキャラクターのイラストではなく、ゲーム中に使用されるスプライト、いわゆるドット絵を用いてマンガにしたデビッド・アネズさん。もともとは「Bob and George」というオリジナルストーリーとのことですが、とりあえず絵のほうは間に合わせということでドット絵を借用し、後々自作の絵に置き換える予定でした。ところがいざ作画に入ったところ、自分には絵心が無いことを確信し、そのままドット絵を用いて作品発表を続けているとのことです。

 もちろん著作権法に照らし合わせてみれば、他人の著作物を無断で利用してウェブで発表しているのですから、結論から言えば味気なくも著作権侵害。論ずることは何も無い…と言うことは簡単です。でもこれは、もしかすると、新しい表現方法が確立する一歩手前の状態なのかもしれません。

 今でこそゲームの表現方法は3Dが中心ですが、一昔前は決まった大きさのドット絵の中に登場人物や背景を描いて表示するのが一般的でした(今でもそうだ! という人の声が聞こえてきますが気にしない)。これはゲーム機の性能があまり高くない中、少ないメモリで多彩な表現を行おうとした、ゲームクリエイターの工夫の産物と言えます。
 初期の頃はとにかく区別がつけばいいという程度のものでしたが、3Dが当たり前に使われる頃になる直前では、ある種、芸術品に近い出来上がりなまでに昇華されていました。とくに世界そのものが描かれることの多いRPGでは、ドット絵だけでまるで映画のような演出にまでなっている作品もありました。背景には生活用品が細々と描かれ、登場人物も数に限りにあるドットの中で表情や感情すら表現されています。

 こうした高度なドット絵を用いて、ゲーム画面のような表示形式でありながら、セリフ回しはマンガの形式を用いるというのが、先に紹介したデビッドさんの表現方法の方向性です。
 当然ながら他人の著作物を扱うには許諾などが必要ですが、ドット絵を自作するなり利用が自由なゲーム用素材(質の高いものがかなりの数で提供されています)を用いれば、この問題はいとも簡単に解決するのでは、と思う次第です。

文化財と著作権

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004053100070&genre=C1&area=K00

 京都新聞で連載されていた「Winnyの衝撃」の第5回で、社寺が保管する文化財という絡みで鳥獣戯画が取り上げられたことを発端に、世界最大規模の掲示板「2ch」が毎度おなじみの「いたずら」をトップページで開始しました。
 「2ch」のトップページといえば「壷」を思い浮かべる人も多いでしょうが、http://www.2ch.net/では以前から鳥獣戯画にロゴをあしらった画像を表示していました。京都新聞の記事で「知的財産権」「無断転用」「著作権侵害」という文字が並ぶや否や、鳥獣戯画を表示していたトップページには「ただいま、超著作権侵害中」というキャッチコピーが追加されたのです。

 京都新聞の記事全体は、文化財のデジタル化における現状を紹介したものですが、その記事で紹介されたアーテファクトリー社の社長と比較法研究センター理事長のコメントが、話の内容をこじらせてしまったように思われます。
 鳥獣戯画に限らず多くの文化財は著作物の範疇に属するものですが、制作された当時は著作権法はありませんし、当然著作者は50年以上も前に亡くなられています。著作物ではあるものの著作権は無く、本来は誰もが自由に利用可能な作品なのです。
 しかし、著作権は無くても文化財を管理している社寺には物品としての所有権を持っています。社寺は閲覧そのものを禁止したり、私有地に入ることを制限付で許可することなどで文化財を保護してきました。

 古い作品を朽ち果てないように大切に保管するには、それなりのお金を必要とします。その財源は拝観料であったり寄付であったり国や地方自治体の補助金だったりします。もちろん、文化財を写した写真などを本にして出版し、それら収益を保管料に賄うということもあります。ですが、いくら厳重に保管を行っても、物として朽ち果てていくこと自体は止められません。火災や不慮の事故、盗難などで傷ついたり消失してしまう危険性も常にあるのです。
 そのため京都国際文化交流財団をはじめ国や地方自治などで、文化財を劣化しないデジタルデータ化して永久に保存するという取り組みを進めています。と同時に、国立国会図書館の貴重書検索(http://www3.ndl.go.jp/rm/)のようにデジタル化した文化財を一般に公開することも進められています。
 ですが、このことが拝観者や関連書籍の売上低下などに繋がるのではないかということで、文化財保有者は保管に当てる財源を失ってしまう恐れに危機感を募らせています。また、高精度のデジタル化を行うための機器の費用はもちろん、デジタル後のデータ保管など、著作物に掛かる永続的な費用の財源にも対策が必要になってきています。

 著作物はその文化的価値が高まると、著作権法の保護期間以後もその保存などでお金が掛かってしまう側面を持っています。現在の著作権法はまだこのことについては何も触れられてはいません。
 文化財保護法等によって、何百年前の世界遺産的なものについては法律の保護を受けられますが、著作権が満期になった以後からは、遺産的価値が認められるまでの間、数多くの著作物は保護者無しの危険な眠りにつかなくてはならない状態なのです。

会議録は語る

id:laaz:20040602

 6月1日の午後1時から行われた「衆議院文部科学委員会にて参考人質疑」の内容を、laazさんが聞き起こししています。この作業はとても大変なもので、私は途中で断念してしまいました(苦笑)。その御苦労に感謝いたします。
 全部については、衆議院のウェブサイトにある会議録に収録されるのを待つことにしましょう。

 この質疑では参考人としてエイベックス会長兼社長・日本レコード協会会長である依田巽氏が出席しています。その意見陳述から気になる点を書き出し検証したいと思います。

 昨年1月から11月までに日本レコード協会会員レコード会社が発売した邦楽アルバム4445タイトルの価格を分析いたしますと、2500円未満の価格のものが41.5%と最も多く、平均価格も2315円であります。

 Amazon.co.jpで現在発売中のJ-POPの一覧をざっと見ても2500円以下のアルバムを見つけるほうが大変です。半分近いアイテム数とのことですから、もっと頻繁に目にしてもいいはずです。これはどうもシングルの数も含まれているような…?

 次はAmazon.comで価格調査です。アメリカではPOPひとつとってもジャンルが多岐に渡り、どのジャンルが一番売れているかはちょっと私は知らないので、恐らく近いんじゃないかな、というGeneral およびPop Rockで当たりをつけてみます。
 依田氏の主張を有利にするため、割引価格ではなくList Priceで比較すると、おおよそ平均18$、安いものでは14$から高いものではCD5枚組みで130$というのも見受けられます。物価指数が異なるのであえて日本円には換算しませんが、List PriceではなくBuy newで見てみると平均14$になることを指摘しておきます。

 確かに欧米先進国の中でアメリカは日本より2割から3割程度安いと認識しておりますが、世界の62億人のマーケットを対象とするアメリカと、1億3千万人をマーケットとする日本との市場環境の差ですね、あるいは欧米に較べて豪華な仕様を好む日本の国民性などを考えますと単純に比較することは出来ないと思われます。

 市場規模の違いが価格を維持する根拠になっているようですが、別に日本は世界に向けての輸出を前面的に禁止しているわけではありません。そして、アメリカの全てのアーティストが62億人規模のマーケットの恩恵を受けているわけでもありません。あくまでも最大期待値だというだけで、ジャンルの隔たりやPRの範囲を無視して62億という数字を押し出すのは、不適切ではないでしょうか。
 今回の逆輸入措置は、10億人規模のアジアマーケットを標的にしたことが発端と言われてもいます。ということは、本来はそれに見合った価格設定を行うのが筋でしょう。いえ、それ以前にアメリカの音楽はアジアに輸出されていないとでも?
 …と、そんな回りくどい言い方をしなくても、フランスの価格を指摘すればいいだけなのではありますが。

 7年間というのは、わたくしどもが過去数十年にわたってリリースされたCD、レコードがライフサイクルで何年あるのかという科学的な数値もベースにして作り上げた7年間(という年数)でございます。で、実を申しますと私は50年を主張しておりました。それは著作権著作隣接権は50年であります。なぜその50年の権利を我々は7年まで詰めなければならないのかということについては、はっきり申しまして非常に不満です。

 改正後も7年間の禁止期間を50年間まで引き上げる気満々の依田氏ですが、この7年というのがどのような科学的根拠によって導き出されたかについては語られていません。
 恐らくは絶版に至るまでの平均年数だと予想しているのですが、実際のところはどうなのでしょう。損益分岐点を超えるまでの最長年数かもしれませんが、そのあたりのデータを集める必要があります。

 昨年1年間で日本の一番安いCDは300円からで、(これが)3300円までございます。

 300円で販売されたCDのタイトルが知りたいですが、まあ、そういう個人的興味は置いといて、シングルとして発売されている音楽CDへの収録数はおよそ2〜4曲。価格が1000円前後ですので、300円CDが1曲だけの収録タイトルだとすると、さほど安い価格だとは言えません。
 また、たぶん「一番高いCDでも3300円だぞ」という密やかな主張をされているのかもしれませんが、もちろん7000円を越える商品もあります。もっともこれはベストアルバムでCDの枚数も2〜3枚、収録数もそのぶん多くなっています。
 つまり、価格問題はCDタイトル自体の価格ではなく、収録曲数もしくは時間で比較しないと正確には計れません。もちろん、著作物の価格を時間で換算するというのはとても味気ないものですが、実のところ価格を決定するレコード会社が、その味気ない設定を行っている恐れがあるのです。いや、それ以前に各アーティストに支払われる著作権料は、まさに5分という時間単位で決められているのです。

洋楽ファンだけの問題じゃない

 来年の一月一日から施行される改正著作権法ですが、邦楽CDの逆輸入防止措置の悪影響が、洋楽のみに起こると考えるのは軽率です。結局のところは競合する安価なCDが排除され、日本の音楽業界は「音楽CDの値段はこのまま変えずに済む」というお墨付きを、著作権法で得たということに他ならないからです。
 「価格競争に費やされる努力が、作品の質の向上に注がれるのだからいいじゃないか」という意見もありますが、その作品の質を推し量るファンの耳は、数多くの音楽を繰り返し聞き、そしてその作品を批評することによってのみ培われます。

 自由に使えるお金には限りがあります。ましてや昔とは比べ物にならないほどに娯楽が溢れ、そこに費やされるお金も増えています。それなのに音楽の値段が変わらないのであれば、必然的に嗜める曲数は限られてしまいます。異なるアーティスト、異なるジャンル、異なる国の曲…その幅が狭まってしまえば、音楽ファンは音楽というものを理解し得なくなってしまうでしょう。そして人は音楽に飽きてしまうかもしれないのです。

 価格競争による低価格化は、必ずしもアーティストや音楽出版社の利益を減らすものではありません。使用機材の高性能化に伴う対費用効果の向上、パッケージとしてのCD媒体の多様化などによって低価格化は可能なのです。現にアジア向け音楽CDは多少ライセンス料金の違いはありますが、十分な低価格化を実現しているのですから。